【イップス】
それは突然何の前触れもなく発症し、突如球を投げるという当たり前の動作ができなくなる症状です。
1度発症すると出口の見えない長く暗いトンネルに閉じ込められたかのように選手は追い込まれ、それが原因で野球界から身を引いた選手も数多くいます。
今回はイップスに悩まされながらも、様々な工夫と努力で克服した選手、また、イップスが原因で本来の力を発揮できずに引退した選手たちについて振り返っていきたいと思います。
■イップスとは
まずはじめのに、イップスとはなにかということについて解説していきます。
イップスを簡単に説明すると「無意識的な動作障害が生じ、思うようなプレーができなくなってしまうこと」です。
野球でいうと、球を投げてもどこにいくかわからない、手加減したボールが投げられないといった症状が一般的です。
他にもゴルフで言えば、パターを打つときにボールの方向がコントロールできない、サッカーで言えば、思ったところにボールを蹴ることができないなどもイップスの症状と言えるでしょう。
■イップスの原因
イップスを発症する原因としては、心理的要因が関係しているのではないかと言われています。
大事な場面でミスをした、自身の投球が原因で相手に怪我を負わせてしまったなど、過去の失敗やトラウマが原因で発症する可能性が高いと考えられていますが、明確な原因についてはわかっていません。
ただ確実に言えることは、イップスは誰がいつ発症してもおかしくない症状だということです。
■イップスと戦った選手たち
ここからは、実際のプロ野球選手でイップスを発症しながらもなんとか克服した選手を紹介していきます。
■イチロー
まずは誰もが知るスーパースター、イチロー選手です。
あんな大スターでもイップスになるのかと思われる方も多いかと思いますが、イチロー選手は高2の春頃から症状が出始めたそうです。
また、その症状はプロ入り6年目の1997年頃まで続いたそうです。
原因は当時厳しかったという高校時代の上下関係にあるそうで、イチロー選手は上級生相手にバッティングピッチャーを務めていたそうですが、やはり当ててはいけないというプレッシャーもあったのでしょう。
このような過度なストレスが原因となりイップスを発症したそうです。
当時の心境についてイチロー選手は、「一番の野球人生のスランプ」と表現し、投げられない辛さについて語っています。
では、イチロー選手はどのようにしてこの地獄から抜け出すことができたのか。
それは自身の野球に対する「センス」だと言います。
イチロー選手独特な表現かもしれませんが、言い方を変えるとイップスは努力で治せるものではないということで、とにかく現実と向き合って、プレーすることに対して自信を持つしかないということでしょう。
自信がつくことで心にも余裕が生まれ、イップスを克服したイチロー選手は見事に名実ともにスーパースターへと上り詰めたのでした。
■田口壮
外野手としてベストナイン1回、ゴールデングラブ賞5回を獲得した実績を持つ田口選手ですが、学生時代からプロ入り直後まではショートを守っていました。
そんな田口選手の送球に異変が訪れたのは、なんとプロ1年目のキャンプ初日。
当時の土井監督から、投げ方に癖があるから、長く野球をやるために治そうということを言われ、投げ方について指導を受けることになった田口選手ですが、徐々に自身の投げる感覚がわからなくなっていき、終いには足と手の動作が全く噛み合わなくなったそうです。
大学時代までは直接的に技術指導を受けたことはなく、監督からもらうヒントを自分で考えて練習する習慣となっていた田口選手にとっては、プロになり打撃や守備について手取り足取り指導される状況に馴染めず、このようなことがイップス発症に繋がったしまったのかもしれません。
入団1年目となった開幕戦では9番ショートで先発出場の機会を掴んだ田口選手でしたが、この試合でも一塁への送球が逸れるなど、イップスの影響は甚大で、本人曰く「どう投げていいかわからなくなってしまった」と言います。
その後、守備範囲の広さを買われコンバートした外野というポジションで才能が開花し、内野とは違い体全体を使って送球することで、田口の送球難は徐々に解消されていきメジャーでも活躍するほどの成績を残したのでした。
■徳山壮磨
横浜DeNAベイスターズで活躍する徳山選手は、大阪桐蔭高校時代にはエースとして2017年の春のセンバツ大会で優勝。早稲田大学時代には最優秀防御率のタイトルを獲得するなどの輝かしい実績を引っ提げ、2021年ドラフト2位で指名を受け入団した投手です。
幾度も大舞台を経験してきた徳山選手は、プロ入り1年目のキャンプで自身の投球に違和感を感じたと言います。
「自分の後ろに監督、コーチ、さらに横にはファンの方がいて、どんな球を投げるか注目が集まっている中、いい球を投げようとしているうちに自分をコントロールできなくなってしまった。ボールを指にひっかけたり、抜けたりして『今までこんなことなかった。感覚が変だ』と感じてしまった」
1年目は何とか2軍で17試合に登板しますが、翌2年目のキャンプで症状が悪化。
バッティングピッチャーを務めますが、全くボールをコントロールできずにキャッチャーすら捕れない球を連発しました。
この当時の心境を「マウンドに立てば震えるし、投げ方がわからないというか、ここに投げたいと思っても、手が硬直してしまって、ボールが離せなくなってしまったんです」と語り、その苦悩を打ち明けています。
その後もイップスの症状は改善されることなく迎えた3年目の自主トレで、徳山選手はある人物と運命的な出会いを果たします。
それは自主トレで訪れていた長崎県の大石知事。
精神科医でもあった大石知事に自身の症状を話すと、以前勤務していた千葉大学医学部附属病院の先生を紹介してくれたそう。
医師と面会した徳山選手は、今まで誰にも言えなかったことも含め心の中をすべてさらけ出し、そこから電話などで医師と逐一コミュニケーションを取るようになると、症状は徐々に改善していったそうです。
そんな徳山選手がイップスを克服するために大切にしていたこと。
それは「成功体験」を積むこと。
10球を投げて何球ストライクが入るか勝負するという遊びのようなトレーニングを続け、その中で徐々に自身の感覚を取り戻していった徳山選手は、今や中継ぎとしてイップスだったことを一切感じさせない素晴らしい投球を披露しています。
■内川聖一
2000年にドラフト1位で横浜に入団し、現役通算2186本のヒットを放った内川選手。
そんな偉大な選手もまた、イップスに悩まされた過去があります。
プロ野球生活のスタート時にはセカンドを守っていた内川選手。
しかし次第にファーストへの送球が逸れるようになったそうです。
セカンドは、ファーストまでの距離が近い為スナップスローで送球する機会が他のポジション比べ多いポジションです。
近い距離を投げる際にイップスの症状が出るといった選手が多いのも事実。
内川選手の父・一寛さん曰く、自身が観戦に訪れた試合でも2つの送球ミスを犯したそうです。
試合後に食事に行った際には、内川選手は泣きだし、それを見た母親は「辞めて大分に帰ってきて仕事したらいいよ」と言ったこともあったと語っています。
その後、外野手にコンバートされたことでイップスの症状が出ることもなくなり、NPBでは40歳まで現役を続けたのでした。
■増渕竜義
ここからは、イップスを必死に克服しようと試みましたが、結局自身の感覚まで戻すことが出来ずに引退した選手をご紹介します。
ハンカチ世代の1人として2006年のドラフト会議で、埼玉県の公立校、鷲宮高校からヤクルトにドラフト1位で入団した増渕選手。
もともとノビのあるストレートを投げ込むことが魅力だった増渕選手ですが、現役生活を続けていく中で少しずつコントロールの必要性を感じるようになったそうです。
「コントロールやキレを意識しすぎたせいではないかと思います。思い切り腕を振ることができなくなりました。バッターと勝負しなければいけないのに。コースを狙って投げようと考えすぎると、うまく投げられない。それからおかしくなりました」
自身がこのように語っているように、理想を追い求めていくうちに次第に本来の自分の姿を見失ってしまったようです。
また、中継ぎもこなしていた増渕選手は、ヤクルトの本拠地である神宮球場のブルペンにもプレッシャーを感じていたそうです。
ファールゾーンに設置されたブルペンは、投球練習中に暴投でフェアゾーンにボールが入ってしまうと試合がストップしてしまいます。
そんなプレッシャーもあり、神宮のブルペンには苦手意識があったそうです。
ヤクルトから日本ハムに移籍し再起を図りますが、もともと指先の感覚を大切にしていた増渕選手の剛速球は元通りになることもなく、2015年シーズンを持って現役を引退したのでした。
■榊原翼
埼玉・浦和学院高校から2016年に育成ドラフト2位でオリックスに入団し、2年目の2018年シーズンには支配下登録を果たし、2019年シーズンは開幕から一軍の先発ローテーション入りし、最速150キロ超の直球を武器に3勝を挙げました。
しかし飛躍を期待された2020年、榊原選手は突如、制球が定まらなくなりました。元々荒れ球が持ち味でしたが、マウンドではリリースポイントがわからず、ボールを真下に何度も叩きつけたこともあります。
榊原選手は当時の心境を、「結果を出さないといけないというプレッシャーで自分を追い込んでいた」と振り返り、その苦悩を語っています。
結局2020年シーズンは1勝に終わり、翌年には戦力外通告を受け、育成選手として再契約することとなりましたが、その後、再び一軍のマウンドに上がることはなく2022年に2度目の戦力外通告を受け引退を決断しました。
周囲から「もっとできる」との声もあったそうでうすが、最後までイップスが治ることはなかったのです。
■まとめ
未だにイップスが発症する決定的な要因は、はっきりとはわかっていません。
しかしながら今回紹介した選手たちのように、一流と呼ばれる選手でも突如発症するのがイップスです。
実は私も学生時代はイップスに悩まされ、トスバッティングなどの近い距離でボールを投げることができませんでした。
自分の体なのに思うように動かない。歯がゆい、恥ずかしい、悔しい、そんな様々な気持ちがこみ上げてくることもありました。
ただ、それは決して自分が弱いからだとか、技術がないからだとか、そんなことが原因ではないのです。
現代の技術を持ってしても解明できない原因がそこにはある訳ですから、決して自分を責めることなどありません。
そんなことを、今同じ悩みを持つ方々にお伝えできればと思いこのブログを書きました。
どうか下を向くことなくしっかりと前を見据え進んでください。
あなたは1人ではありません。
大丈夫です。
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