みなさんこんにちは!
野球大好きモルツです☆
今回は野球ファンのみならず、日本人なら誰しも一度は聞いたことのある選手
「イチロー」の伝説について、数々の名選手の言葉から解説していきます。
ぜひ最後までお楽しみください☆
松坂大輔
「自信が確信に変わりました」
プロ入り1年目の松坂はイチローとの初対戦を終え、お立ち台でこのような名言を残しました。
当時18歳の新人が、5年連続首位打者のイチローから3奪三振を奪う活躍を見せたこの試合を覚えている方も多いのではないでしょうか。
この試合後イチローは松坂についてこのように語っています。
「3三振した僕が言えることじゃないけど、これからの対戦をイメージしていきたい。勝負以外の楽しみが増えました」
このときからイチローと松坂の師弟関係は始まったのです。
松坂は西武ライオンズへの入団が決まった際、「一番、対戦したいのはイチローさんです」と、イチローへの憧れをハッキリと口にしました。
松坂がイチローから3奪三振を奪ったあの日、実は試合前のエピソードとして松坂が語っていたことがあります。
西武ドームのセンター付近でアップをしていた松坂は、レフト方向から歩いてくるイチローを発見し、「イチロー来てるよ、イチローが来るよ」と興奮を隠し切れませんでした。
そしてその後イチローは、直接松坂の元へ歩み寄り、「よろしく」と一言声をかけました。
それに対し、「はじめまして、よろしくお願いします」と答えた松坂ですが、実は内心「おれ、イチローとしゃべっちゃったよ」と大興奮していたそうです。
また3奪三振は奪ったものの、打席に立つイチローを目の当たりにした松坂は、打席に入ってから高々とバットを掲げるイチローを見て、こんなふうに思っていたそうです。
「ああ、これか、と思いました。イチローさんのバットが刀に思えましたもん。僕に斬りかかってくるんだって」
また、2011年4月29日メジャーで9度目となるイチローとの対戦を迎えた松坂はある秘策を打ち出します。
この日の第3打席目、松坂はイチローを抑えるべく自身でも過去に実践したことのない、わざと力を抜いたシュートを投じました。
しかしイチローは松坂の投じた一球を悠々とセンターへ弾き返したのです。
松坂はそのときの心情をこのように語っています。
「意図的に抜いて、僕が球速を落として動かすっていう、したことがないことをしたら、もしかして打ち損じてくれるかなと思ったんですけど、甘かった」
平成の怪物としてその名を世界に知らしめた松坂でさえも、イチローを抑えることは容易ではなかったようです。
「プロに入る前からイチローさんの背中を目標に頑張ってくることができました。僕にとってイチローさんは憧れであり、尊敬する人であり、目標です。これからもその背中を追いかけ続けたいと思っています」
イチローがマリナーズの殿堂入りを果たした際に松坂が送ったメッセージが、「伝説イチロー」の存在を物語っていますね。
田口壮
1991年のドラフト会議。
この年、オリックス・ブルーウェーブから田口は1位指名、イチローは4位指名され同期としてプロ野球の世界に飛び込みました。
入団後、田口は自身より下位指名を受けたイチローの圧倒的なパフォーマンスを目の当たりにして、「自分はどうやったらこの世界で生き残れるか」と真剣に考え始めたそうです。
入団当初のイチローの印象について田口は「なんだこの身体能力は」と驚愕したエピソードを語っています。
また田口は、イチローと同期入団した心境について「彼と同期で入ったのは、幸か不幸かわからない」と発言しました。
この言葉からイチローの凄さと田口自身の同期入団としての葛藤を垣間見ることができます。
当時、同じ外野手として試合に出場していた2人は、
「特に守備に関してはお互い話さなくても、考えていることが分かりました。守備についている時、この打者はこういう傾向だからこう守ろうとアイコンタクトで共有してました。仮に意見が違っても「イチローがこう動いたのは、こういう考えだからだな」と言葉なしで分かりあっていましたね」
と田口が語るように、お互いにしかわかり得ない感覚の中でプレーしていたそうです。
田口自身も現役生活を20年間を続けましたがその原動力はイチローの存在だったと語っています。
「彼と一緒にやったから、僕はたぶん現役を20年できたのかなと思うんです。そりゃ最初は勝てると思ってやっているし、勝たないといけないと思ってやっている」
「でも1年首位打者を獲ったり、200安打を打っただけならまだいいですけども、それが2年、3年と続いて……。それを見せられた時に、ちょっと待て、となる」
「僕自身、どうやって生きていくのかと考えるきっかけは、彼の圧倒的なパフォーマンスと存在感から生まれてきてるんです」
と語り、イチローのズバ抜けた能力を目の当たりにしたからこそ、自身の生き抜く道を模索できたと述べています。
イチローの存在は時に他人を絶望させてしまうほど大きなものであることが垣間見ることができますね。
古田敦也
古田はイチローの凄さを「足が速いから普通のショートゴロがセーフになること」だと語っています。
そんな古田は、捕手目線から一番駆け引きに気を使った打者として、日本シリーズで対戦した際のイチローだと答えました。
1995年の日本シリーズ、古田はイチローを抑えることこそが日本一になるための条件だと考えていました。
「イチローに内野安打を打たせない」
その為に古田はある秘策を打ち出したのです。
その秘策とは「高めの球でポップフライを打たせること」でした。「ホームランは打たれてもいい。ゴロは絶対に打たせない」という古田の思惑は見事にハマり、このシリーズでイチローは19打数5安打の打率263に抑え込まれ、内野安打もゼロという結果でした。
イチローの足を完全に封じ込めた当時の野村監督率いるヤクルトが見事、日本一の称号を手にしました。
しかしながらこのシリーズの最終戦となった第5戦。
イチローは、それまで自身の打撃を封じ込まれていたうっ憤を晴らすかのように、古田が要求した高めの球をホームランにしました。
これには古田も「さすがにバレたな。長く戦っていたら負けていたと思う」と語り、イチローの適応能力に脱帽した様子でした。
落合博満
過去にイチローは、天才だと思うプロ野球選手として落合の名前を挙げたことがあります。
また落合のバッティングを語る中で、自身との共通点があることについて語りました。
「ボールの軌道にバットを入れていく。この時間が長いというのは、落合さんと自分との共通点だと思う」
さて、イチローに天才と称された落合ですが、実は落合自身もイチローのバッティングについては目を見張るものがあったようで、このように語っています。
「後にも先にも7回連続で首位打者を獲ったっていうバッターはいないわけだから。メジャーでも年間200本以上打ったっていうのは何年か続いてるからね。それだけでもすごいこと」
普段選手のことをあまり褒める印象がない落合が、イチローのことを大絶賛したのです。
また、具体的にイチローは何が長けているのかということについては、
「何でもかんでも打ちにいくっていうのは、あれでバットに当たってヒットにするってんだから、よっぽどバットコントロールには長けてるってことなんだろうなと思う」
と語りました。
時にはベース手前でワンバウンドするボールを見事にライト前に運ぶなど、イチローのボールにアジャストする能力は世界一かもしれません。
実際に高校時代のイチローは、自身のバットコントロールについて、
「センター前ヒットなら、いつでも打てる」
と語っており、その発言が嘘ではなかったことを世界中の野球ファンに対し、自身の活躍で証明したのでした。
松井秀喜
巨人や米大リーグ・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜ですが、テレビ取材の中でイチローの凄さについて語ったことがあります。
松井とイチローは同時期に活躍していたこともあり、世間で比較されることも珍しくありませんでした。
このことについて松井は、
「正直言って、比較するのはイチローさんに失礼。選手としては、レベルという意味ではイチローさんの方が全然上ですよ」
と語っています。
日米通算507本のホームランを放った大打者松井ですら、イチローという存在は特別なものだったのでしょう。
また、松井とイチローは高校時代に対戦経験があるらしく、イチローが在籍していた愛工大名電高校に遠征で来ていた当時2年生だった松井は、
「ゲストだったので、順番とか関係ない。まあ、いいや。入っちゃえ入っちゃえ」
と、3年生だったイチローを差し置いて先に風呂に入ったそうです。
そのときのことを今でもイチローは、
「2年なのにおれより先に風呂入った」
と、おもしろおかしく松井をイジってくるそうです。
遠征で愛工大名電高校を訪れていた松井は、イチローから寮の部屋に呼ばれたこともあったそうで、
「イチローさんの部屋に入って殴られるかと思ったら、将来どうする?プロ目指している?」
という話をされたと語っています。
ちなみにそのときのイチローは、パンツ一枚だったそうです。
そんな松井ですが、後にイチローのどこがすごいのかという問いに対し、
「守備がうまくて、盗塁ができて、肩が強くて、なおかつヒットを打って。若いときからずーっと全部できる。そんな人はなかなかいません。そんなすごさだと思います」
と答えています。
何かと比較されてきた2人ですが、松井はしっかりとイチローへの尊敬の念を抱いているのでした。
まとめ
さて、いかがだったでしょうか。
今回は「日本が誇る安打製造機」イチロー選手ついて解説してきました。
ときにその言動から勘違いされやすいイチローですが、彼が残してきた功績は現代に生きるプレーヤーへ多大なる影響を与えてきたことに間違いはありません。
これまでヒットを積み重ねてきたイチローはまさに、「日本が誇る安打製造機」でした☆
それではまた次回お会いしましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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