みなさんこんにちは!
野球大好きモルツです☆
今回は読売ジャイアンツに所属する小林誠司選手の広陵高校時代のエピソードをご紹介していきたいと思います。
そこには小林選手の野球人生を大きく変えるエピソードが隠されていました。
是非、最後までお付き合いください。
【プロフィール】
生年月日:1989年6月7日
出身地:大阪府堺市
身長/体重:178cm/86kg
プロ入り:2013年(ドラフト1位)読売ジャイアンツ
■幼少期
3人兄弟の長男として誕生した小林は、父親が元水泳選手、母親が水泳のインストラクターをしていた影響で、幼少期から水泳をはじめました。
余談になりますが、母親がインストラクターとして務めていたスイミングスクールには、現在メジャーで活躍する藤浪晋太郎が通っていたそうです!
小学2年からソフトボールをはじめ、その頃から「プロ野球選手になると」語っていました。
中学では大阪泉北ボーイズでプレーし、その後親元を離れ広陵高校に進学するのでした。
■無名だった入学時
広島県の強豪、広陵高校に進学した小林でしたが入学当初は全く目立つ存在ではなかったといいます。
実際に広陵高校の中井監督は当時の印象をこのように語っています。
「ぜんぜん目立たない子でした。入ってきた頃のことは正直、ほとんど覚えてないです。まさに『あの子がプロ野球選手になるとは…』という子でした」
中学時代は投手兼遊撃手として活躍しており、球速も125km/hほど出ていたそう。
高校でも投手で勝負する気が満々で、同級生で後にバッテリーを組むことになる現広島カープの野村祐輔を引き合いに出し「完全にライバル視していました」と語っているほどです。
しかし1年の秋、そんな小林の運命を変える出来事が起こったのです・・・
■運命を変えたコンバート
小林は秋の大会に敗戦し、帰路に着く際のバスの中で突如、捕手へのコンバートを告げられます。
「おい、小林!おまえ今日からキャッチャーやれ!」
中井の声がバス中に響き渡るなか、小林は「はい」とだけ返事をした、いや、せざるを得なかったのかもしれません。
後に中井は小林を捕手にしようと思った理由をこのように語っています。
「肩が強かったことと体に柔らかさがあったこと。そして気配りができそうな心の優しさを感じたことですね」
今の小林のイメージと全く同じですが、中井のこの決断が小林の野球人生を一変させました。
ただコンバート当初はボールが怖くて仕方なく、コーチに対して「ほんとはキャッチャー嫌なんです」と弱音を吐いていたそうです。
■想いの詰まった3塁側ベンチ
小林は人とのコミュニケーションが苦手で、ピッチャーとの意思疎通を図るのも苦労したそうです。
そんな弱点を克服するため、小林は3塁側ベンチに立ち延々と声を出す練習を繰り返しました。
「しまっていこう!」「ありがとうございます!」「ゲッツー!」など、野球のことからあいさつまで、1〜2時間とにかく声を張り上げていたそうです。
最初は恥ずかしかったそうですが、何度も繰り返していくうちに恥じらいは消え、グラウンド上でも強い気持ちでものを言えるようになったと語っています。
あそこ(3塁側ベンチ)が彼の原点だというのであれば、そうなんだろうなと思います。
中井はそう語り、ありし日の小林の姿が目に焼き付いているようでした。
■飲み込まれた「がばい旋風」
2007年夏の甲子園、広陵高校は決勝に進出し、この年快進撃を続ける公立校、佐賀北高校との試合が幕を開けました。
試合は先発の野村が相手打線を7回までわずか1安打に抑え、4対0と優位に試合を進めてきました。
しかし8回、あの「がばい旋風」が甲子園に吹き荒れ、広陵高校の選手たちを飲み込んでいきます。
■判定に対する無言の思い
下位打線に連続ヒットを許し、1死一、二塁とされると、甲子園のスタンドからは歓声と手拍子が巻き起こり、一斉に佐賀北を後押しし始めました。
それは広陵高校の選手たちのみならず、同じグラウンドに立つ審判をも飲み込んでいったのです。
野村の投じる際どいコースの球が次々とボール判定されフォアボールを連発、押し出しで1点を失った際、小林はミットで地面を叩きつけ、無言のアピールをしました。
このときのシーンは、野村の驚いた表情とともに忘れられない瞬間です。
その後、満塁からまさかのホームランを許し、4対5で敗戦。
小林の高校野球人生は幕を閉じたのです。
中井はこの判定に対し、自身が母屋に立つ格好で「うちが弱いから負けたんでしょうけど、バッテリーが一番よくわかってる。あまりにもジャッジが。高野連さんにも考えてもらいたい」
とインタビューの中で答え、選手たちの思いを代弁したのでした。
■あの日原点から見た景色
2013年にドラフト1位で読売ジャイアンツから指名された小林は、広陵高校へと帰ってきました。
中井から現役選手たちに何かを伝えてくれと頼まれた小林は、迷わず自身の原点でもある3塁側ベンチに上り、こう叫びました。
「広陵出身の小林誠司です! このたび、巨人からドラフト1位指名を受けました! ここで満足するのではなく、プロで活躍することが目標なので、ここで培ったものを生かしてがんばりたいと思います!」
その姿を見た中井は自然と涙が溢れてきたと言います。
キャッチャーとしての野球人生がスタートしたこのグラウンド、自身の殻を打ち破るきっかけを作った3塁側ベンチは、小林にとっての原点であり、きっと忘れられない特別な場所となっているのではないでしょうか。
■まとめ
さて、いかがだったでしょうか。
今回は小林選手の原点を築いたと言っても過言ではない、広陵高校時代のエピソードについてご紹介してきました。
今季は阿部監督が就任しスタメンでマスクをかぶる機会も増えている小林。
まだまだ意地を見せてくれることを期待しましょう!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
それではまた次回、お会いしましょう☆
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