【中日ドラゴンズ】黄金期の面影は・・・

みなさんこんにちは!

野球大好きモルツです☆

今回は立浪監督率いる中日ドラゴンズにスポットライトを当てていきます。

落合博満が監督に就任した2004年からの8年間は、まさに中日ドラゴンズにとって黄金期だったと言えるでしょう。

勝利こそが最大のファンサービスだ。自分のために野球をしなさい。プロは勝つことが全てだ。

そんな落合の考えを象徴するかのように、落合が監督を務めた8年間では日本一1回、リーグ優勝4回を誇り、なんとAクラス入りは8年連続という快挙を成し遂げました。

今回は、そんな黄金期を経て、近年では2年連続最下位というチーム状況にあえいでいる中日ドラゴンズの歩みについて解説していきたいと思います。

ぜひ最後までお付き合いください。

【黄金期】落合政権時代

落合が監督を務めた8年間、なぜドラゴンズは毎年のように安定した成績を残し続けることができたのでしょうか。

そこにはもちろん素材の良い選手たちが多かったということも関係していますが、常勝軍団を作り出した裏には「全員に過酷な練習をさせた」と落合自身が語るほどの猛練習がありました。

落合が選手を見るうえでもっとも重要視していることは練習量だと言います。

「オレが与えるだけの練習量をこなせるかどうか。それだけの体力があるかどうか」と落合自身が語っているように、頭で理解していることを体で表現できたとしても、体力がなければシーズンを通してその力を発揮し続けるのは難しいという考えがあったそうです。

当時のドラゴンズのキャンプは日が暮れるまで練習が行われていたことで有名ですが、実際にドラゴンズのキャンプを視察した若松勉が「度肝を抜かれた」と語るほど、今までの常識を覆すほどの練習を行っていました。

また、そんな猛練習に加え、当時のドラゴンズといえばキャッチャー谷繁、ファーストT.ウッズ、二遊間は荒木、井端のコンビに加え、サードに森野、レフト和田、センター大島、ライト福留など、豪華なメンバーが名を連ねていました。

投手陣では、チェンと吉見の左右両エースを筆頭に山本昌、川上らの先発陣に加え、浅尾、岩瀬の盤石なリリーフ陣とまさに投手王国でもありました。

今考えても投打に渡り豪華すぎるメンバーが揃っていますね。

落合はドラフトに関しても独自の考えを持っており、自身が監督を務めていた際はスカウトに対し「すぐに使える選手が欲しい。勝つための戦力を取ってくれ」と要望していたそうです。

そんな落合を象徴するかのようなドラフトとなったのが2008年、この年のドラフトの目玉と言えば、東海大相模高校で通算65本塁打を放った188センチの大型遊撃手、大田泰示。

当然スカウトは、「こういう選手は何年かに一度しか出ません。うちはそういう選手は必ず指名してきたんです」と落合に大田の指名を提案しました。

しかしながら落合はそんなスカウトの意に反するかのようにこのように語ったのです。

「お前らには悪いんだけどな、どうしても野本が欲しいんだ」

落合が獲得を望んだのは、日本通運で活躍し、学生時代には長野久義のライバルと評されていた24歳の野本圭でした。

野本圭。懐かしいですね~☆左打ちのね、うん覚えてる!

楽天との競合の末、ドラゴンズは見事に野本の獲得に成功。

落合はこのときの心境をこのように語っています。

「現場のわがままを通させてもらった。ものからすれば、何年かに1人の逸材がドラフト戦線にいたのは確かだ。考え方は2つある。でも、5年、10年先じゃなくて、来年の戦いに勝たないといけないんだ」

通常ドラフトでは即戦力になり得る選手と、育成を前提として将来性を見込んだ選手をバランス良く獲得し、常に数年後もチーム力が継続するよう構成を考えるものです。

しかし当時の落合は常に目の前の勝利を優先に考えていました。

今となれば、黄金期として栄光の日の目を浴びる一方で、このようなドラフト戦略が近年のドラゴンズ低迷へのきっかけとなっていたのかもしれません。

落合独自の方針には反対意見も多く、ファンサービスを優先しない落合の影響で本拠地ナゴヤドームの観客動員数も年々減少する中で、推定年俸3億7千万円という監督しては破格の年俸を誇っていた影響もあり、球団内には反落合派が存在していたという話もあります。

そんなチーム事情を象徴するかのように、試合を視察していた球団社長がチームの負けを見届けるとガッツポーズをしていたという話まで聞こえてきたほどです。

チーム内の軋轢が浮き彫りとなる中、落合は2011年、チームをリーグ優勝へと導いたにも関わらず、この年で監督を辞任することとなりました。

【遺産を引き継いだ】高木政権時代

2012年、そんな落合からバトンを引き継ぐ形で監督に就任したのは高木守道。

高木政権1年目にはリーグ2位の成績を残しますが、周囲からは落合の遺産で勝てたようなものだという声もありました。

そんな声が現実となるかのように続く2年目のシーズンにはドラゴンズは12年ぶりとなるBクラスに転落したのです。

この要因としては、落合政権時代の黄金期を支えたレギュラー陣の高齢化に加え、偏ったドラフト戦略の影響でそれに取って代わる若手もほとんど育っていない状態だったことだと言えるでしょう。

目の前の勝利を優先してきた落合の方針が、この頃からチームに歪みを生むようになりました。

【低迷期】谷繁政権時代

高木がBクラスの責任を取り辞任すると、2014年からは落合政権時代を正捕手という立場から支えた谷繁が選手兼任監督に就任しました。

また、同じく2013年のオフからチームのGMを落合が担うことになったのです。

しかしながら、この落合のGM就任がチームを混乱へと巻き込むことになります。

GMに就任した直後の落合は、契約更改の場で選手に有無を言わさない形で総額8億円とも言われた年俸削減を断行し、周囲をアッと言わせました。

特にこれまではチームの顔として優遇されてきた主力選手に対しても、容赦ない査定で大幅ダウンを求めたのです。

その中でも特に世間を驚かせたのは、これまで功労者としてチームを支え、自身が監督を務めていた際にもノックの嵐を浴びせ、手塩にかけて育てた井端への処遇です。

落合は井端に対し、年俸1億9000万円から限度額を超える1億6000万円ダウンの3000万円を提示しました。これは井端にとっての実質的な戦力外通告のようなもので、これに納得できない井端はドラゴンズを退団し、ジャイアンツへの移籍という道を選ぶこととなったのです。

その後も2014年オフには大島との交渉で「オレが監督ならお前の守備では使わない」と言い放ち交渉が難航するなど、落合の上から目線の交渉は物議を醸すことになりました。

いやー、これはなかなか言えない言葉ですよね。間違いなく揉める原因になります。笑

また、谷繁との関係も良好とは言えず、谷繁の知らないところで選手の戦力外が決まっていたり、コーチ人事に関しても、谷繁の意見を汲みとらず、落合GM主導で決め、谷繁が信頼していた佐伯の入閣を当初認めず、結果的に谷繁が白井オーナーに直談判して認めさせるような事態にまで発展したこともあります。

「ほとんど、あの人と口をきいたことがなかった」と、退任後に谷繁が振り返ったように、編成トップの落合と現場トップの谷繁が会話をしないという異常事態に発展していたのです。

ドラフトに関しても監督を務めていたときと同様に、「高校生は時間がかかり効率が悪い。上位指名以外では高校生はいらない」との方針を貫き、落合がGMとして在籍した3年間で育成を除き、計21人をドラフト指名しましたが、そのうち19人が社会人、大学、独立リーグ出身の即戦力候補と、偏った編成を貫いたと言っても過言ではないでしょう。

落合は自らが社会人、大学野球の現場に足を運ぶことも多くありましたが、即戦力候補としてドラフト指名した選手の中で、本当に期待通りの働きを見せたのは、又吉、祖父江、遠藤の3人くらいではないでしょうか。

結局、谷繁は監督3年目となった2016年のシーズン途中にチーム成績の悪化を理由に休養に入り、オフには退任することになりました。

谷繁が監督を務めた3年間の成績は4位、5位、最下位と完全に低迷期を迎えたドラゴンズ。

谷繁とともに落合GMの退任も発表され、監督時代から続いた長きに渡るドラゴンズと落合の関係に終止符が打たれる形となりました。

【続☆低迷期】森政権時代

その後、2017年からは落合政権を参謀役として支えた森が2年間監督を務めることになります。

1年目となる2017年シーズンは、開幕から4連敗スタートを喫するとその後も上位に浮上することなく、下位に低迷。新外国人のゲレーロが本塁打王に輝くなど孤軍奮闘を見せましたが結果的にシーズンを5位で終えることになりました。

2年目となる2018年シーズンは、4番を務めたビシエドが打率.348で首位打者を獲得、中軸を担った平田も打率.329、本塁打9本と打撃に関しては確実性を見せる一方、投手陣は13勝を挙げたガルシアに続く選手が現れず、結果は2年連続の5位に沈みました。

すみません、低迷期が長すぎてブログを書いて萎えてきてしまったので、次の政権にいきます。笑

【明るい兆しも】与田政権時代

そんな投手陣の整備を期待され、2019年からの3年間はチームOBでもある与田が監督を務めましたが、期待された京田、高橋周平らの不振や、チームの資金面の問題でFA戦線への参加も難しいという状況もあり、2年目となる2020年にはチームを8年ぶりのAクラスに導く手腕を発揮したものの、あとの2年は5位と低迷期は続きました。

しかしながら投手陣に関して言えば、スランプに陥っていた大野を沢村賞を獲得するまでに復活させ、2年目は、福、祖父江、マルティネスの勝利方程式を確率、3年目には柳が最優秀防御率と最多奪三振の2冠を獲得するなど、与田が期待された投手陣の整備という面では大いに貢献したと言えるでしょう。

また、ドラフト戦略にも変化が見られ、与田が監督を務めた3年間に指名した1位選手は根尾、石川、高橋と全て高校生であり、ドラゴンズが目先の勝利のみならず長期を見据えたビジョンに舵を切ったことが明確にわかるようになりました。

【2024年は期待大!】立浪政権時代

そんな与田からバトンを引き継いだのが、現監督でもあり現役時代はミスタードラゴンズと称された立浪。

ここまでは2年連続最下位にあえぐなど結果は残せていませんが、与田政権時代に獲得した根尾は投手として再出発し、石川は怪我に泣かされながらも将来のチームの顔になる素質を秘め、高橋はWBC日本代表としても世界の舞台に立つなど、明るい材料はたくさんあります。

かねてから得点力不足が騒がれていたドラゴンズですが、昨年現役ドラフトで加入し大ブレークを果たした細川や、今季ジャイアンツから移籍した中田など着々と打線の厚みも増しつつあります。

投打がうまく噛み合えば、今シーズン台風の目となり得る可能性は秘めているのではないでしょうか。

今シーズンはここまで首位に立つなど最高のスタートを切った立浪ドラゴンズ。

シーズン終了時にはどの順位にいるのか楽しみですね。

まとめ

さて、いかがだったでしょうか。

今回は中日ドラゴンズの黄金期から今という内容についてお届けしてきました。

黄金期の復活に向けて、近年では目先の勝利のみならず若手の育成という部分に舵を切ったドラゴンズ。

その蕾が一気に花開く瞬間を心待ちにして今後のドラゴンズを応援していきたいですね。

黄金期再来の見出しが紙面を賑わすことを期待しています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!

それではまた、次回お会いしましょう!

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